人は生まれてくることを選べないのだ

言わずもがな人は必ず死ぬ。

 

北朝鮮のミサイルで一瞬で死ぬ人もいれば、プロポーズ直後に橋から落下して死ぬ人もいる。

不治の病で死ぬ人もいれば、老衰で死ぬ人もいる。

 

人間はあっさり死ぬし、意外と死なない。

 

明日死んでもいいやと思えば人生はとてもイージーに思えるし、あと何十年も生きると思えば様々な戦略を練っていかなくちゃいけない。

 

長生きするということは、というか生きるということを選択した時点であらゆるリスクが発生する。

 

逆に今すぐ死のうと思えば、生きる選択で発生するあらゆるリスクは消滅する。

 

僕は個人的に神様とか宗教とか信じていないので、死によって地獄に落ちるとかそういうオカルト?非科学的?なことも信じていない。

 

だから死ぬことが悪だとは思わない。だからといって生きることも悪だと思わない。

 

芥川龍之介が「河童」という作品の中で、親河童が生まれてくる前の子ども河童に「お前はこの世界へ生まれて来るかどうか、よく考えた上で返事をしろ」と尋ねる。

これに対し子ども河童は、父親の精神病の遺伝だけでもたいへんな上に「河童的存在を悪い」と信じているため「生まれたくありません」と答える。

 

このエピソードは芥川が、「人はこの世に生まれることを自ら選べないのだ」というメッセージを込めているのだと解釈している。

 

僕たち人間はこの世に生まれてくることも生まれる環境も選べない。

生まれた瞬間はただのヒトという肉体の塊で、環境によって人間へと成長する。

 

自らの意思で選び、自らの選択に責任を持てなんて言うけれど、そもそも発生した時点から矛盾している話だ。

 

不幸な境遇に置かれた人が、望まずとも世間の常識において悪になったとする。

その悪は本人の責任だろうか。

 

意思による選択に責任が生まれるなら、生み出した親の方が責任は重いだろう。

子供を産むという性行為をし、出産するという選択をしたのは親だ。

子供は生まれることを選択できないのだ。

 

例えばインターネットなどでよく聞く毒親の「あんたなんか産まなきゃよかった」というセリフは僕からすれば理解不能だ。

いやいや、理不尽に産んだ命に対して、生を否定するってどれだけ惨いんだ。

 

人を産み、育てる。それは経済的にも精神的にもレベルの高い人間が行う行為だと思っている。

なのに現実は、そういったレベルが低い人間が何も考えずに子供を産む。

猿なのか。

この世の一番の無責任だと思う。

 

そういう人間は、裕福な家庭と貧しい家庭の子供を比較する脳みそもないのだろうか。

本当に理解に苦しむ。

 

人はそれぞれの環境で育ち、この世に生まれてよかったと心の底から感じる人もいれば、生まれたくなかったと嘆く人もいる。

理解し合えないのは、生まれた環境がお互いに想像を超えているからだろう。

 

だから僕は生きたい人は生きればいいし、死にたい人は止めない。

恵まれた環境に生まれて多くの人に称賛され愛される人は素晴らしいと思うし、恵まれない環境に生まれ人を憎んだり、凶悪な犯罪を犯す人は、その人がそういった境遇だったを知ることでどうしようもない悲しい気持ちになる。

 

相手のことが、理解できないときはいつも想像力を働かせる。

すると個人のみでは説明できない、境遇を知って僕は自分の、人間の無力さを感じる。

 

 

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